●既に平安時代に懊悩していた
日本は弥生時代から父系家族制へと移行していき、平安時代の摂関政治に於いて父系家族への移行が急速に進行した。鎌倉時代に入ると父系家族制に基づいて社会が動いて行くことになる。尤も日本の父系家族制は母系家族制的要素を色濃く残し、中国や韓国の父系家族制とはまるで違うものだから注意が必要となる。
平安時代になぜ女性たちの文学活動が盛んになるのかといえば、摂関政治では宮廷女官たちの存在を必要とし、そこに優秀な女性たちが集まって、それで文化の花が開いという理由がある。もう1つの理由は結婚制度が変化していったことで、女性たちが懊悩し始めたことなのである。
清少納言にしても、紫式部にしても、この手の懊悩があればこそ、『枕草子』や『源氏物語』を書いた。だから平安時代の女性文学作品をただ単に文学作品として読むのは非常に危険なのである。このことが解っていないと、なぜ平安時代には女性たちが文学作品を残したのに、鎌倉時代になると女性たちは文学に関心を持たなくなってしまうのかも解らなくなってしまうのである。
公家の女性と武家の女性とでは身分が違うから、その生活には決定的な違いが存在する。公家の女性は結婚して子供を産みさえすれば、もうやることはない。だから文学で遊ぶだけの閑があった。しかし武家の女性は結婚して妊娠出産育児をするだけでなく、他にも大量の仕事があった。しかも夫が出征すれば自宅を守る重大な責任が生じたのであり、文学で遊んでいる閑などなかったのである。
フェミニズムに洗脳されてしまえば、鎌倉時代以降は女性の地位が下がったということになってしまう。しかし実際はまるで逆で、女性たちの地位は上がったのである。平安時代では確かに女性たちが文学作品を作ったが、貴族の女性たちは人口の1%もいないのである。それに対して武家の女性たちは人口の5%程度は占めるほどの多さだったのである。
平安時代では貴族たちが豪華な生活をするために、庶民たちは貧乏のドン底にいた。それを武家たちは打倒したのであって、鎌倉時代は平安時代よりも遥かに豊かな時代になったのである。貴族たちは豪華な生活をすることができなくなったが、それによって武家たちも庶民たちも生活が大いに向上したのである。
●母親には甘える場所がない
平安時代の女性たちが懊悩し、現代の女性たちも懊悩している。なぜ女性たちは懊悩しているのかといえば、父系家族制への移行によって、
「母親には甘える場所がなくなってしまったから」
ということなのである。母系家族制では女性は自分の母親に甘えることができた。しかし父系家族制ではそうやって甘える場所がなくなってしまったのである。
父系家族では夫は妻に甘え、子供たちは母親に甘えて来る。となると母親には甘える場所がないのであって、当然にストレスを溜め込んで来ることになる。そのくせ父系家族は女性の地位を向上させたから、今更、母系家族に戻すようなバカなことはしたくない。だからあれこれ悩み続けることになってしまったのである。
母系家族では女性は常に母親に甘えることができるので、自立しなくてもいい。それに対して父系家族では女性は家を追い出されるので、どうしても自立しなければならない。女性が自立しなければたとえ結婚しても、その結婚を維持することができない。
多くの女性たちは女性の地位が向上すれば、それだけ責任が重くなるという当たり前のことが解っていない。自立していないからこそ、そういう甘ちゃんな考えを持ってしまうのだが、確かに母系家族では女性が家長かもしれないが、家長以外の女性たちの地位は非常に低いのであって、父系家族の女性たちの方が地位は高いのである。
今まで多くの女性学者たちが父系家族制を批判してきた。中には近代的な核家族制は終焉したなどと言ってきたりする人もいる。しかし実際はどう批判されようようが父系家族制はびくともしていない。男性であれ、女性であれ、もう二度と母系家族制には戻りたくはないのであって、父系家族制に何かしらの問題があったとしても、これを維持していくしかないと思っているのである。
●なぜ浄土教?
結婚制度の変化の中で出て来たのが鎌倉仏教であり、特に浄土教は大ヒットした。それまでの仏教は僧侶たちのための宗教だったのであり、それが世俗の人たちの所まで届いた所に浄土教の革新があった。ではなんでそこまで浄土教が庶民の心を捉えたのかということになる。
浄土教は仏教から生まれてきたかもしれないが、仏教の正統な教義からすれば異端であり、阿弥陀如来を本尊としている以上、仏教の宗派としては認められないものなのである。こんなことは少し仏教のことを調べれば解ることなのに、なぜだか浄土教が放置され続けて来たのである。
なぜこれほどまでに浄土教が日本に浸透してしまったのかというと、それは浄土教が持つ「絶対平等」にその理由がある。仏教はキリスト教よりも平等色が強く、しかも仏教から生まれた浄土教はより平等色が強くなり、平等は絶対性を有するまでになった。
親鸞の悪人正機説は当時に於いても現代に於いても誤解されているのだが、悪人だけが救われるのではなく、善人だって悪人だって救われるということであり、阿弥陀如来の絶対性の前には善人も悪人もなくなってしまうということなのである。悪人正機説は阿弥陀如来の誓願がなんであるかが解ればちゃんと理解できるのだが、善悪に拘っているとそれが解らなくなってしまうのである。
浄土教では絶対平等なのだが、女性たちは浄土教を信仰することで、家庭内のストレスを全て発散させることができた。だから女性たちは浄土教を熱心に信仰するようになったのである。自分たちが最下層にいたから絶対平等に惹かれたのではなく、自分たちが既に特権階級の仲間入りを果たしていたからこそ、逆に絶対平等に惹かれたのである。
●なぜ復古神道?
日本に於ける浄土教の流行は織田信長による宗教弾圧によってどうにか終止符を打つことができた。織田信長は政教分離を推し進めたのであって、政治に手を出して来る浄土教系の宗教団体を絶対に許さなかったのである。この政策は豊臣秀吉にも徳川家康にも継承され、しっかりと日本に根付くことになる。
江戸時代では檀家制度が導入され、檀家料のために仏教寺院は経営が安定し、信者たちにも仏教が深く浸透していった。しかしその反面、知識人たちを中心に堕落した仏教への批判が始まり、国学者たちが国学の研究をすることによって、復古神道を確立していった。
復古神道は非常に有名なのだが、正統派の神道ではない。正統派の神道は祭祀が中心なのであって、『古事記』を研究したりはしないのである。それに大体、日本の正史は『日本書紀』なのであって、『古事記』は重要視されていなかったのである。
復古神道の謎は本居宣長がどこの宗派に属してたかを調べれば解る。彼は浄土宗の門徒なのであって、浄土宗の阿弥陀如来を天照大御神に摩り替えたのである。神道の教学では天照大御神を最高神としているのだが、復古神道の教学ほどに天照大御神を重要視していないのである。
復古神道は江戸時代後期に大流行して、倒幕の1つの原動力になった。照大御神は女神である以上、女性たちの支持を非常に受け易かったのである。阿弥陀如来は所詮男性なので、女性たちにしてみれば出来ることなら同性の女性の方がいいということになる。
●巫女とイデオローグ
崇拝対象が女神なら、いっそのこと教祖も女性であった方が望ましくなる。天理教は教祖の中山みきが女性であったために大ヒットしたのである。尤も中山みきの教えは神の啓示が中心なので、それを中山みきの死後、天理教の最高宗教指導者になった飯振伊蔵が教義を整えていった。
天理教は今までの宗教とは比べ物にならないほど革新的であった。仏教が伝来して以降の日本の宗教は全て男性が宗祖になることで成立してきたのだが、天理教は女性の巫女と男性のイデオローグの2人の存在が必要だと示したのである。巫女による「神の啓示の提示」と、イデオローグによる「教義の確立」がないと新興宗教団体は宗教活動を成功させることができないということになった。
神道系では大本教が天理教に続き、出口ナオと出口王仁三郎のコンビで虚勢を拡大したし、仏教系では霊友会の小谷喜美と小谷角太郎のコンビ、立正佼成会の長沼妙佼と庭野日敬のコンビと、神道や仏教を構わず、女性の巫女と男性のイデオローグの2人がいれば新興宗教団体を起こせるし、巨大勢力へと拡大していくことができるようになったのである。
創価学会は基本的に日蓮正宗の信者組織なので、そもそも巫女という者が存在しない。だから常に男性が最高宗教指導者になってしまうのだが、そうなると教団は内外で問題を起こし、当然に世間の人々は警戒し、事あるごとに批判をすることになってしまう。
オウム真理教もまた巫女が存在しない新興宗教団体で、石井久子のように有能な女性がいたにも罹らず、巫女の存在を認めない教団であったので、男女2人で教団を作り上げて行くことをしなかった。それであのような暴走を引き起こし、最終的には破綻してしまったのである。
●結婚制度の変化に対する宗教の課題
日本は近代化によって父系家族制度が強化されこそすれ、弱体化した訳ではない。日本が近代化に当たって手本としたイギリスやドイツやフランスは日本とは比べ物にならないくらいに父系族制度が進んでいたので、その法律を取り入れるということは父系家族制度がよりいっそう強化されたということなった。
我々がすべきことは父系家族の価値を再確認するしかないのであって、それは当然に母親たちに甘えられる場所を喪失させてしまうことになる。確かに女性たちの地位は向上したのに、それはそれで息苦しいのである。だから家族制度だけで全ての事を賄ってはならないのである。
「母親たちが甘えられる場所をどう確保するか?」
という問題は、結局、宗教団体が解決していくしかない。宗教団体に於いて母親たちに甘えられる場所があるなら、その宗教団体は発展し、信者たちの家族に何か問題があったとしても、それを解決するだけの能力を持ってしまうことになる。
父系家族制度に何か問題があるからといって、男女平等に基づく「男女両系家族」なる物を妄想しても全くの無意味である。男女平等の夫婦など絶対に有り得ないのであって、結婚する以上、男女のどちらかが家長にならねばならないのである。
清少納言にしても紫式部にしても、最終的には宗教に走った。しかし当時の宗教はまだ宗教自体が家族制度の変化に対応しきれていなかったから、解決策をきちんと提示することができなかったが、天理教以降の近代的な宗教なら、その変化に対応できているのであって、だから宗教による補完を受けているのなら、母親たちは懊悩することがなくなったのである。
しかしこのことが解らない母親たちは大量に存在していることもまた事実である。宗教抜きで家族が成立すると思っているのだが、そのような間違った考えは誰がどうやっても最終的には破綻してしまうのである。父系家族制度ではどうしても母親たちに甘える場所がないのであって、それは宗教がない限り絶対に解決できない問題であるのだ。
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