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茨城県の水戸光圀と納豆の意外な関係

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●御三家の共通の特徴

 茨城県の事を考えるに当たって、絶対に忘れては成らない事があり、それが「水戸藩は御三家の内の1つ」であったという事である。徳川家康は天皇家の宮家に学んで御三家を作ったのだが、役立ったのは紀州藩だけであり、水戸藩も尾州藩も江戸幕府を永続させることに役立たなかった。

 幕末、水戸藩は徳川斉昭が幕政で活躍したり、徳川慶喜が一橋家に養子に出され、その後、最後の征夷大将軍になったりした。しかし天狗党の乱で尊皇攘夷の志士たちを皆殺しにしてしまったために、討幕勢力に成らなかっただけでなく、明治になってから人材が完全に枯渇するという事態を招いてしまった。

 尾州藩は水戸藩よりも酷く、戊辰戦争に於いて官軍が侵攻してくるというにも拘らず何も抵抗せずに降伏してしまった。このような気概のなさでは、まともな人材など絶対に出て来ない事であろう。もしも将来、愛知県の出身者が首相になったら、日本は滅ぶ可能性があると見ていい。

 御三家は親藩の中でも優遇されたから、未だに独自の文化圏を持っている。だから余所者たちが入りにくく、地元出身者だけで固まってしまう。江戸時代に於いて冷遇された事がないから、それで今でもこれらの県民たちはなぜだか威張っているのだ。

 元御三家の三県の内、和歌山県は観光地として成功している。江戸時代に機能した藩は近代になっても機能するものなのであって、和歌山県の独自の文化を売りにすればそれなりに観光客を集める事が出来る事であろう。

 しかし茨城県と愛知県は失敗している。独自の文化圏があるのに、余所者を拒絶してしまうそのやり方が、観光業をやるに当たって大いな足枷になっている。観光客たちだって所詮は余所者たちなのであって、余所者たちを巧く取り込む政治をやっていかないと、県民たちの考えはなかなか変わらないものなのである。

●廃仏毀釈の悪影響

 水戸藩は徳川光圀の時に廃仏毀釈を行い、そのため茨城県は現在でも仏教寺院の数が少ない。近代以降、仏教の空白を埋めたのはキリスト教であり、茨城県の中でも水戸藩があった所はキリスト教が意外と強い地域になっている。

 今回のバス旅行でも、旧水戸藩領に入った途端に、とあるキリスト教の教団の看板が目に入ってきた。その看板は実に場違いな看板であり、俺は「未だにキリスト教はこの地に土着化していないんだな」と思ってしまった。

 僧侶の数というのは、神職者の数の30倍もあるので、廃仏毀釈によって仏教寺院が消えた事によって、旧水戸藩領の人たちは非常に豊かになった。袋田の瀧のある大子町も旧水戸藩領であり、だから茨城県の僻地にあるにも拘らず豊かなのである。

 しかし廃仏毀釈によって仏教を失った事の損害は非常に大きい。神道では「お祭り」があり、それによって観光業を生み出す事ができる。仏教では「一期一会」があり、観光業を行っていくためには、どうしてもこの精神が必要なのである。

 キリスト教では「愛」を唱えるのだろうが、観光客が観光地に行って、観光業者からベタな愛情を示されたら、逆に興醒めしてしまう。観光客という者は、一瞬でその良し悪しを決める傾向にあり、という事は、仏教の一期一会の精神の方が重要になってくるのだ。

●水戸光圀と納豆の問題点

 茨城県といえば、なんといっても水戸光圀なのだが、この人物こそが茨城県にとって最も問題のある人物なのである。茨城県の人材はまさに多士済々なのであるが、水戸光圀というスーパースターがいると、他に人材が出て来なくなってしまうのであり、それで人材がいても委縮してしまう事に成るのだ。

 特に気になるのが、茨城県は政治の分野に於いて優秀な人材が全く出ていない事なのである。県内に原子力発電所がある以上、今後、原発の問題で日本の政治が揺れ動くことを考えると、これは非常に危険な事であり、「第二の福島」になる事だって充分に有り得るのだ。

 水戸光圀は別に大した偉業をやった訳ではない。それまで日本には通史という物がなかったので、日本初の通史である『大日本史』の編纂に着手した事を評価されているに過ぎない。その『大日本史』だって江戸時代で終わらず、明治になってやっと完成したのであって、日本の通史として活躍したのは、頼山陽の『日本外史』の方なのである。

 この水戸光圀の問題は納豆の問題とそっくりだと言っていい。茨城県の特産品といえば納豆ということになるのだが、納豆があるために他の商品が目立たなくなってしまい、特産品として充分にやっていけるのに注目されないという事にしまうのである。

 例えば「あんこう鍋」は茨城県が発祥の地であり、「奥久慈シャモ」は全国特種鶏味の品評会で第1位を取ったほど美味く、「干し芋」や「吉原殿中」は美味だし、「行方ハンバーガー」なんかは東京に出しても充分にやっていける。

 それなのに納豆があるために、これらの特産品が掻き消されてしまうのである、

 もしも納豆を特産品にするなら、様々な納豆を作るべきであろう。臭いが強烈な物とか、栄養価が格段に高い物とか、乾燥した納豆とか、納豆に拘りを持つなら、そうやって特化していくべきなのに、そういう事をしないから、変な事になってしまうのだ。

●観光業は様々な産業があってこそ

 観光業を振興して行くに当たって気を付けるべき事は、

「観光業は様々な産業があってこそ成り立つ物である」

という事が解っていないと、とんでもない間違いを起こすことになるという事であり、それなのに往々にしてこの点を忘れてしまう輩が大量に出て来てしまうのである。

 もしも観光業だけやろうとすれば、それは後進国の連中がやっている事なのであり、貧乏から永遠に抜け出す事が出来なくなってしまう。日本は先進国なのだから、様々な産業を揃えた上で観光業を振興していくというやり方を取らねばならないのである。

 冷静に見てみれば、茨城県は第一次産業が充実し、農業も林業も漁業も他県では見られないほど充実している。製造業に関しえては日立グループが進出しているので、これまた充実している。だから「それなのに」という事になる。

 観光業は自由放任で巧く行くものではなく、地方自治体が整備しないと巧くいかないという最大の矛盾点がある。それで地方自治体が経済に介入してしまう口実を与えてしまうのである。逆に言えば県民たちが地方自治意識を高く持ち、地方自治能力を高めていかないと、絶対に観光業は巧く行かないのだ。

 茨城県を観光地にするなら、地平線まで続く田園風景というのは最大の売りになる。それなのに田圃を埋め立てて家を作るのは実に勿体ない事なのであり、そういう事をしては観光地に成り得ないのだ。都市計画をきちんと持って都市と農村を分け、都市には五階立て位のマンションを群生させれば、わざわざ農村に家を建てなくても済む事であろう。

 霞ヶ浦の水質改善は急ピッチで進めるべきであって、水が綺麗になりさえすれば、この湖に遊覧船を浮かべて楽しむ事が出来るようになる。筑波山には筑波神社があるからまだいいが、霞ケ浦は湖である以上、周辺住民たちの民度が高くないと、絶対に観光地にはならないのだ。 

 観光業がどんなに巧く行っても、観光業に力を入れすぎるのは非常に危険であるという事は肝に銘じておくべきであろう。茨城県の中でも大子町が多少巧く行っているのは、様々な産業があればこそであり、観光業だけでやっている訳ではないのだという事を絶対に忘れてはならないのだ。

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