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母親への誕生日プレゼント事件

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●父親の死から3年
 
 父親の死から3年経って、母親は誕生日を迎えた。誕生日ではいつも祝っているのだが、服喪という訳ではないが、誕生日プレゼントを贈る事は控えていた。父親が死んでから様々な事が変わったので、そちらの方が忙しく、誕生日プレゼントを贈る気持ちすら起こらなくなったという方が本音かもしれない。
 
 しかし今回の誕生日では誕生日プレゼントを贈る気になった。そこで或る人に相談したら、
「女性は幾つになってもスカーフや帽子や洋服といった物ならなんでも喜ぶものよ」
と教えれたので、それで今回は、
「スカーフ」
を贈る事に決めた。
 
 ところが母親の親友が誕生日の直前になって洋服を贈り、その洋服に対して母親は、
「柄がちょっとね~」
とケチをつけていたから、急遽、変更する事にした。柄の好みは人それぞれなので、息子の俺がいいと思った物でも、必ずしも喜んでくれるとは限らないからだ。
 
 そこで俺は、
「ティーポット」
を贈る事に決めた。我が家にはティーポットがなく、母親は、
「ティーポットが欲しいわね~」
と言っていたからだ。ティーポットなら喜んでくれる筈である。
 
●ティーポットを探しまくり
 
 ティーポットを探すのに、半日用意した。ティーポットにも好みが存在するのであって、一発で探し当てる事は出来ない。時間をかけて探し出さないと、いい物を見つけ出す事は出来ないのだ。予算は5千円である。費用が高ければいいという物ではない。手頃の値段だからこそ喜ばれる物なのである。
 
 まずはユーズドショップに行った。店に入るとすぐに、1万5千円の品が4700円で売られているティーポットがあった。消費税を入れると予算を少しオーバーしてしまうが、許容範囲内であろう。しかし絵がダサい。しかも取っ手が掴みにくい。これではダメであり、俺は他の物を探した。
 
 陳列棚を一巡して戻って来ると、なんと最初に目を付けていた物がもうなかった。売れてしまったのであろう。実に残念な事だが、
「これは神様がここでは買うな」
と言っているのだと思い、他の店に行く事にした。
 
 しかし散々探しまくっても見つからなかった。そこで、
「100円ショップに茶器が売っていたな~」
と思い出し、それで100円ショップに行く事にした。するとこれまたすぐさま300円でティーポットが売られてのを見つけ、無地なのではあるが、そのデザインが実に良かった。
 
 因みにこのティーポットがはタイ製で、タイは紅茶を飲むので、それでこんなにも出来のいい物が作られていたのである。中国では中国茶を飲むために、中国茶用の茶器はあっても、紅茶用の茶器で出来のいい物はないのだ。これは日本も同じで、日本だと緑茶か珈琲を好んで飲むので、紅茶用の茶器には物凄く弱い。
 
 俺は滅多な事では100円ショップに行かないので、レジでティーポットを買うと、店員が、
「新聞をどうぞ」
と勧めてくれたのだが、100円ショップは商品を買った人に無料で今日の新聞をくれるのだ思い、感激してしまった。
 
 ところが貰った新聞はかなり前の物であり、しかも1枚1枚に切り取られている。なんてことはない。これは茶器を包むための包装紙であり、自分でティーポットをその新聞紙で包めという事なのである。100円ショップはお客が多いので、普通の店のように店員が包んでいる閑などないのだ。
 
●思わぬ失敗
 
 自宅に買って来ると、まずはティーポットの底に張られていたシールを剥した。電子レンジにも耐えられますとか書いてあったのだが、そういうシールは無粋であり、贈る前に剥しておいた方がいい。その上でティーポットを包装紙で包み、見事、誕生日プレゼントが出来上がった。後はバレないように隠しておいた。
 
 いざ誕生日当日になったのだが、肝腎のケーキを買い忘れた。我が家では誕生日ケーキは必ず手作りであり、ケーキ屋で出来上がったケーキを買う事はない。但しスポンジは買う。しかしそのスポンジを間違え、デニッシュを買ってきてしまった。とはいっても丸い形をしているので、それでも良しとした。
 
 デニッシュでケーキを作ると、それは「巨大な生シュークリーム」であり、実に美味であった。だがこの味は若者向けで、母親には多少きつすぎたらしい。デニッシュはバターの味が強いのだが、それを嫌ったのである。それでも全部食べたのだから、不味くて食えない物ではなかったのだ。
 
 母親は今回の誕生日プレゼントはなしと思っていたのだが、俺が誕生日プレゼントを贈ると、さすがに喜んだ。すぐさま包みを開けると。
「何これ! へ~、ティーポット! いいじゃない。300円」
と行き成り値段を当てやがった。
(母親は凄いな~)
と思ったら、なんて事はない。値札を外し忘れたのである。最後の最後で大失態を仕出かしてしまった。
 
 今回の誕生日プレゼントで最大の欠点はなんといっても、
「値段」
なのである。値段は300円である以上、この値段がバレるのが一番拙い。値段を知られてしまえば、なんてチャチな物を贈ったと思われてしまうからだ。でも品はいいのだ。散々探し回った挙句、俺はそれを選んだのであり、これは値段の問題ではないのである。
 
●商品の価値って一体何?
 
今回の誕生日プレゼントで
「商品の価値って一体何?」
と考え込んでしまった。値段なんてあってなきが如しであり、消費者に買われない限り、商品は価値を有しない。
 
 この問題はアダム・スミスが提議し、カール・マルクスが労働価値説を完成させる事で、その答えを導き出したのだが、社会主義国は労働価値説で経済を運営したら全く巧く行かず、社会主義国自体が「労働価値説は完全に間違っている」という結論を下す事に成ってしまった。
 
 まず労働価値説は理論的にも現実的にも絶対に成立しない。生産者が如何に労働を投入しようが、そんな事は消費者にとって関係ない事である。確かに商品は労働なくして出来き上がる事はない。だからといって商品の価値は労働価値で測れる物ではないのだ。消費者の側から見れば「使用価値」を取らざる得ない。かといってこれも正しいとは言えない。
 
「商品の価値は市場価値である」
 
 そう答えるしかない。商品は高価だからといって良い物とは限らない。ユーズドショップで売られていた物はまさにそれで、確かに値段は高いのだが、その商品を買った者は価値がないと思ったからこそユーズドショップに持っていき、店の方は格安の値段でそれを買い取って定価よりも値段を引き下げた上で売っていたにすぎない。
 
 俺は100円ショップで値段こそ安いが、
「この商品にこそ価値がある」
と判断して買ったのである。100円ショップの方は人件費の安いタイで作った以上、安価で売っても充分に利益は出る。買った俺の方も利益が発生しているのだから、それで取引は成立するのである。
 
 商品という物は売れなければゴミ同然の代物なのであり、売れるからこそ価値を有するに過ぎない。こんな事、商売をやればすぐに解るというのに、経済学者たちは自分で商売した事がないから、出鱈目な事を言っているに過ぎないのだ。

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