●覚醒剤は違法だと解っているのだが
覚醒剤の所持や使用は法律で禁止されているし、その法律の必要性も理解できる。一度、覚醒剤中毒に嵌ってしまえば、自分の力で抜け出すのは無理なのであって、自分の全財産が消滅してしまうだけでなく、自分の心身もボロボロになって廃人になってしまうからだ。
しかしそういう危険な薬物なのに、覚醒剤という物は売れるのである。特に芸能界では覚醒剤に手を出す芸能人たちが跡を絶たないのだ。ということは覚醒剤の需要はあるということなのである。事実、芸能界の歴史は覚醒剤と切っても切り離せない歴史であるのだ。
例えばあの「美空ひばり」ですら、若い時はビタミン剤と称して覚醒剤をやっていたのである。だから他の歌手たちよりも活躍できたと同時に、早死にしてしまったのである。美空ひばりを美化するのは非常に危険である。あれだけ売れたということは、その分だけマイナスの部分もあったということなのである。
歌手の世界だけではなく、お笑いの世界も麻薬まみれだった。東八郎なんかも覚醒剤をやっていたのであり。だから活躍できたと同時に、やっぱり早死にしてしまったのである。覚醒剤をやったか否かは、その寿命を見れば大体解るのである。
現在では「とんねるず」の片割れが覚醒剤をやっているのは業界では有名な話である。あの体の異様なまでの痩せ方と、ハイテンションの笑いの取り方は覚醒剤ならではの物なのである。しかし芸能プロダクションの関係上、警察は動かないのだ。
意外なことかもしれないが、芸能界と麻薬の縁が切れ始めたのは、ロックが普及し始めてからと言われている。矢沢栄吉は芸能プロダクションと暴力団の関係を断ち切ってしまったために、欧米ではロックと麻薬は密接な関係を持っているのに、なぜだか日本ではロックと麻薬は切り離されてしまったのである。勿論、ロッカーの中でも麻薬に手を出す奴はいるが、手を出すとなぜか落ち目になっていってしまうのである。
●松山千春
芸能人たちの中には覚醒剤を必要とする者たちがいるのだから、そういう者たちには特例として覚醒剤の使用を認めるということをやり、政府公認の麻薬業者から覚醒剤を購入すならなんの罪も問わないというようにしておけば、暴力団との関係を断つことができ、その違法性を引き下げて行くことができるのである。
今、日本の芸能界で最も覚醒剤を必要とする芸能人は「松山千春」である。松山千春は歌手なのに、コンサートで歌詞を忘れるほどボケが始まっているのである。しかもコンサートでは歌を歌わずに毒舌三昧に走り、コンサートのなんたるかを完全に忘れてしまっているのである。
こういうボケ老人だからこそ覚醒剤は必要なのである。松山千春はハゲだから、覚醒剤を注射する際には脳天に注射針を突き刺して体内に覚醒剤を投入すると、まさに覚醒状態になって、歌詞を忘れることなく歌を歌い、毒舌で歌を誤魔化すということをしなくなることであろう。
●桂歌丸
桂歌丸も覚醒剤が必要と言えば必要である。桂歌丸が遅かれ早かれ死ぬことは既に解っている。だから死にかけている桂歌丸に覚醒剤を打って最後の落語をやらせてみれば、それこそ死力を尽くして落語を行うので、最高の落語を行うことができるかもしれないのだ。
覚醒剤を打つ役は三遊亭円楽にやらせる。まさに腹黒。三遊亭円楽はこのチャンスを利用して、桂歌丸を毒殺しかねないので、警察官立ち会いの下で覚醒剤を注射するようにさせる。尤も覚醒剤を打てば桂歌丸は必ず死ぬことになるので、笑いを堪えながらの注射であろう。
春風亭昇太は桂歌丸が覚醒剤を打ってまで行った落語を見て、「名人芸ですな~」と言えるか? これも見物である。三遊亭小遊三はお漏らししながら見ていたりして。三遊亭好楽はこれを利用して『笑点』の司会の座を乗っ取ろうとしたりするかも? 桂歌丸の死ぬ前後は実に面白い出来事が起こりそうである。
●松岡修造
松岡修造は元気溌剌なので、こんな男性に覚醒剤は必要ない。しかし「元気溌剌な男性に覚醒剤を打つとどうなるか?」という科学的実験をやってみる必要性がある。覚醒剤は本来、元気をなくした者が使用するものである。元気のある者が使用したらどうなるかと誰も確かめた者はいないのである。
結果は既に予測されていて、「狂ったように激しくなる」か、逆に「妙に大人しくなる」かの2つに1つである。松岡修造が狂ったように激しくなった場合、誰も止めることができない。まさにエヴァンゲリオン暴走のような状態である。しかし松岡修造が妙に大人しくなった場合、意外と好青年に見えてしまたtりして高い評価を得たりするかもしれない。
松岡修造は本人自身、一生懸命になって努力しているのだが、その努力は逆効果になっている。スポーツ中継に松岡修造が出て来るとただ単にウザいだけであって、俺は奴が出て来るとチャンネルを回してしまう。どうすれば視聴者にこのスポーツを感動して貰えるかが解っていないので、だから覚醒剤で打ってなんとかせねばならないのである。
●ふなっしー
ふなっしーは存在その物が覚醒剤みたいな物である。ふなっしーは覚醒剤をやっているのではなく、こういうキャラを設定し、それを演じ続けている。これは或る意味、凄いことなのである。覚醒剤をやらなくても、覚醒剤を打った時と同じようなことができるのである。
だから覚醒剤をやりたければ、ふなっしーの物真似をすればいいのである。「果汁プシュー!」ではなく、「覚醒剤プシュー!」とやれば、大爆笑間違いなしである。もうこうなってくると覚醒剤など不要になってしまうのであって、覚醒剤なしで生きて行くことが可能になるのである。
覚醒剤に手を出す芸能人たちは、同じ路線を長らく走り続けてしまい、勤続疲労が溜まった状態にあるだけなのである。人間は10年も同じ生き方を取ることはできない。それなのに芸能界は何か芸があれば、その芸1つで生きて生きなければならないのである。芸能人の人生それ自体に何かしらの無理があるのだ。その無理を承知で生きて行かないと、呆気なく覚醒剤に手を出してしまうことになるのである。
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