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河童の謎

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●河伯族の渡来

 河童は日本で最も有名な妖怪であるが、河童は本当に妖怪であったわけではない。河童は実在した人たちなのであって、日本に於いて様々な歴史を積み重ねながら妖怪へと発展して行ったのである。この河童の謎を解明していくと、日本の知られざる部分を発見することができるのである。

 中国に於いて三国志の時代に「呉」が存在したのだが、この呉は「西晋」に滅ぼされることになる。それでその地を追われた人たちが日本列島を目指して亡命してきたのである。これが「河伯族」で、熊本県球磨川付近に上陸した。(因みに、現在、ここに河童渡来の碑が立っている)

 この河伯族は川辺に住んだ。古代日本に於いて川辺には人が住まない。護岸工事など何もされていないので、洪水が起これば一発で全滅ということになりかねないからだ。しかも日本の河川はそんなに大きくないので、河伯族は日本の様々な河川に進出していき、瞬く間に全国に広がってしまった。

 本来なら、この河伯族は日本に帰化していい筈だったのだが、なかなか帰化することができなかった。それは河伯族が祭神を持たなかったことに原因がある。河伯族が渡来してきた頃は、既に大和朝廷の勢力が全国に広がった時代なので、氏族たちは祭神を祀って神社を作って、そこで宗教活動を営んでいたのである。しかし河伯族が崇拝していたのは「水神」であって、これでは神道の神々の中に入ることができなかったのである。

 神道はアニミズムという物を否定している。神道で神様になれるのは、天神地祇であって、天神は「宇宙の主宰者」、地祇とは「氏神」や「英霊」や「御霊」のことであって、自然界に存在する神様ではないのだ。だから河伯族が水神を持ち出しても、神道の中に入って行くことはできないのである。

 とはいえ、河伯族は日本各地に広がった以上、日本人の名前の中にしっかりと入り込んでいる。名前に「河」「川」「江」が入っていると、先祖が河伯族であった可能性がある。

 河野 河本 河内

 川辺 川野 川崎 川上 川本 川下

 江頭 江崎 江本

 この内、「河」がつく苗字は中国の晋州河氏の出で、名門といえば名門なのである。このため「河」がつく苗字の中からは時折出世者を輩出している。

●河童人形起源説

 河伯族に大きな変化が起こったのは室町時代であった。応仁の乱によって全国で戦争が起こり始めると、河伯族もこれに参戦して戦った。そうなれば戦死者を大量に出してしまうので、それで戦死者たちの霊を弔うために人形を川に流した。

 この人形を川に流して霊を弔うというのは神道の鎮魂の遣り方なのだが、これがなんと河童の起源になったのである。これが所謂「河童人形起源説」である。なんとも摩訶不可解な学説なのだが、ここから河童の歴史が始まるのである。

 九州北部には水神を祀った神社が多々存在していた。水神では神道に於いて正式な神社と看做されないために、祭神を合祀して体裁を整えていたのだが、この水神を祀った神社たちが大体的にこの人形を流すということをやり始めたのである。

 簡単に言えば戦国時代に川に人形を流すのがブームになったということなのだが、これは戦争によって戦死者が発生したということ、九州北部は河川が多いために溺死する子供が多かったということ、それにキリスト教伝来によってキリスト教徒たちによって神社仏閣が破壊されたので、神道に於いては正統派の神社よりも、水神を祀るマイナーな神社が台頭したこと、そういうことが絡み合ってヒットしたということなのである。

 しかし水神では日本人に受け入れられないので、それで水神から妖怪である「河童」へと変化していった。河童とは神様から転落した妖怪だからこそ、多くの人たちに愛される妖怪へと発展を遂げていったのである。祭神を持てなかった河伯族がここに至ってとんでもない物を産み出してしまったのである。

●民間信仰としての河童

①尻子玉を抜く

 人間のお尻の中には「尻子玉」なる物があって、これを河童に引き抜かれると死んでしまうと信じられていた。尻子玉というのが良く解らないのだが、要は「下痢」や「食中毒」を河童にせいにしたのである。衛生が悪かった近代以前に於いて、下痢や食中毒で死んでしまう人は多々いたのであって、それを河童のせいにすることでその死の悲しみを和らげたのであろう。

②溺死

 溺死も河童のせいにされた。溺死は今も昔も結構多く存在する。人間は火を見て恐れるが、水を見て恐れる者は誰もいないから、それで火事で死ぬ人は少ないのに、水難事故で死ぬ者は多いのである。神社仏閣には「河童の手」や「河童の詫び証文」が残されているのだが、「河童の手」は河童から手を取り上げてこれ以上水難事故死を出さないようにし、河童の詫び証文も河童に謝罪させることでその死の悲しみを緩和させたのであろう。

③悪戯

 河童たちは農民たちに悪戯をして困らせていた。河童は農民たちからは排除されていたために、河童は農民たちに悪戯をすることでどうにか入り込もうとしていたのであろう。農民たちが河童たちを差別するからこそ、その差別をなんとかしたかったのである。

④夜這いをして孕ませる

 河童たちには夜這いの習慣があり、時には農民の娘を孕ませたことがあった。夜這いは日本人の習慣なので、河童たちも日本人の範疇に入る人たちであったということなのである。しかし宗教的に微妙に違う所があり、日本人になることができなかったのである。

⑤若者や美女に化ける

 河童たちは漁業を中心として生きていたために魚が主食で、意外と美男美女が多かった。人間は穀物を摂取し過ぎてしまうと、体が醜悪になって行く。人間の体は穀物に対応しきれていないので、穀物を大量摂取してしまうと、美しさが消滅して行ってしまうのである。現在でも苗字に「川」がつく人には美人が多い。穀物を食い始めた時期が遅かったために、顔や体を美しく保つことができているのである。

 河童たちにはなぜだか年老いた河童がいない。河童の寿命は短かったと考えるべきであろう。動物性蛋白質を多くすると美しくなれるのだが、その反面、寿命が短くなるという弊害が出て来る。それで長寿の河童が存在しないということになってしまうのである。

⑥仏教が苦手

 河童たちは仏教が苦手である。河童たちは漁業を営んでいるために殺生をせざるをえない。しかし仏教には殺生戒があるので、河童たちは仏教を受け入れることができなかったのである。日本では神仏習合という選択が取られるので、仏教に帰依しないとなれば排除されるしかなかったのである。

 中国でも南北朝時代の頃には仏教が流行するのだが、仏教に帰依しなかった者たちが中国を去って日本にやってきたということになる。日本史では仏教に帰依した者たちの渡来を主に記述するために、河童たちのように仏教を拒否した人たちの渡来は記述されなかったのである。

⑦お酒やキュウリや相撲が好き

 河童はお酒やキュウリや相撲が好きなのだが、これらはお供え物であり、神事であるということなのである。河童自体が実は神様扱いされていたということなのである。キュウリはお盆に於いて先祖の霊を運ぶ馬として使用されるので、それで河童は馬を引き摺りこんで死なせるという話が出て来たのである。

⑧人間に恩返しをする

 河童は人間に恩返しをするのだが、基本的には河童たちは人間に薬を与え、それによって病気を治していった。ということは、河童たちは農民たちよりも高度な医学を持っていたということなのであり、農民たちの医学の方がレベルは低かったということなのである。

 河童が与えた薬は主に「膏薬」と「胃腸薬」である。漁業をやっているために擦り傷が絶えなかっただろうから、それで膏薬を発達させたのである。破傷風で死ぬことも有り得るのだから、擦り傷を治す必要性はあったのである。河童たちは水辺に棲んだのだが、水が汚い以上、下痢や食中毒になるのは当然なのであって、それで胃腸薬を発達させたのであろう

⑨河童は農業をやらない

 河童は農業をやらない。河童たちは基本的に漁民なので、まずは漁業で生計を立てたのであろう。次いで商工業に進出して行ったと見るべきである。河童の話が商工業が活発になった室町時代になって一気に広まったのは、そういうことなのである。

●河童とはなんであったのか?

 河童の歴史は差別と受容の歴史である。河童たちは宗教上の理由で日本人たちか差別されざるを得なかった。河童たちの宗教は神道とは微妙に違うし、河童たちは仏教を拒絶している。これれでは神仏習合の国では適応できないのである。

 しかし河童たちが商工業に進出していくと庶民たちもこれを受容せざるを得なくなる。宗教が違ったとしても経済で交流することになるのだから、下手に差別をぶつけることができなくなるのだ。河童たちを受容するということは、日本人の中に仏教を拒絶する人たちが存在し始めるようになったということなのである。

 江戸時代には復古神道が起こるのだが、復古神道の中でも平田篤胤は仏教を拒絶した。この思想は爆発的に広まるのだが、もしかしたら先祖が河童であった商工業者たちがこれに飛びついたのかもしれない。元々仏教を拒絶していた以上、仏教を拒絶した思想が出て来ればそれに飛びついてもおかしくはないからだ。

 河童は民間信仰の集合体でもある。河童たちの話は実話半分妄想半分なのであって、日本人の民間信仰を知るには持って来いの材料なのである。河童たちは悪さをする存在であると同時に、何かしらの利益を齎してくれる存在なのである、それと巧く付き合いながら同化していったのである。

  河童がいた方がいいいのか、いない方がいいのかといえば、断然にいた方がいい。なぜなら「川には河童がいて殺されることもある」と子供たちに教えれば、子供たちは河童に恐怖して、水遊びをするにしても慎重になってやるようになるからだ。それは水難事故で子供たちが死ななくなるということなのである。

 しかし親が科学至上主義に取りつかれて、「河童など迷信である」と子供たちに言ってしまえば、子供たちは水を恐れることがなくなるから、それで水難事故で死亡してしまうことになるのである。夏になると水難事故のニュースが流れる度に、「やはり川には河童がいた方がいい」と俺は思ってしまうのである。

※参考文献

 国立歴史民俗博物館+常光徹『河童とはなにか』(岩田書院)

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