●子供を育て上げるまでにお金は幾らかかる?
この世には愚問という物は多々あるものなのだが、
「子供を育て上げるまでにお金は幾らかかるのか?」
というのは、子供を育てている親たちにしてみれば究極の愚問である。といういのは、「そんな計算をして一体なんになる?」ということだからだ。
この計算が如何にバカげた計算なのかといえば、もしもその合計金額を提示された場合、その余りの金額の多さに驚いてしまい、
「だったら子供を産むのをやめよう」
ということになってしまうからだ。こういう行動を本当に取る人たちがいるから、実に困ったものである。この愚問は人口削減計画ということでも考えない限り、絶対に思いつかない愚問なのである。
この養育費を食費に置き換えて考えてみればいい。人間が一生に消費する食費を合計してみれば、誰もがその金額の巨大さに驚いてしまう。だからといって、
「お金がかかるから、食事するのをよそう」
というバカな人間はいない。人間は食べなければ死んでしまうからだ。
子供を産み育てるのだって、それと同じことで、もしも子供を産み育てなければ、それによって子孫が絶えてしまうのである。養育費を浮かせれば、一時的に豊かな暮らしをすることができるかもしれないが、それはたった一代限りのことであって、その人が死ねばそれで終わりなのである。これほどバカげたことは他にないといっていい。
結婚したのなら、「子供を産み育てるのにはそれなりのお金がかかるのは当然であって、それを惜しんではない」という覚悟を決めておくことだ。子供を産み育てて破産した奴など、この世には1人もいない。どんなに子沢山であっても、みんななんとかやっていっているのであり、養育費が必要となれば、必死になって働き、結局、その養育費を獲得してしまうものなのである。
●お稽古事
子供は5歳から6歳の間に「脳の臨界期」を迎えるので、子供にお稽古事を習わせるのなら、どんなに遅くとも6歳までに始めなければならない。通常は3歳で開始ということになっている。この時期を逃してしまうと、脳が発達しないので、そのお稽古事が上達しないのである。
母親であるなら「夢見る母親」になってしまうのも別に悪いことではない。自分ができたことや、自分ができなかったことを、我が子にやって貰いたい。それは我が子だからこそ、そういうことを要求するのであって、他人の子であるならそんなことをしないのである。
子供の頃からお稽古事をやった子たちには共通項があって、それは「礼儀正しくなる」ということだ。お稽古の際に、親以外の大人に接し、しかも礼儀に始まり礼儀に終わるという形で物を教えられるので、それで自然と礼儀正しくなるのである。
礼儀が全くできていない子供という者は多々いるものだが、それは家の外に追い出して、他の大人達に接するということをしなかったらに過ぎない。礼儀を必要とする場所に行けば、必ず礼儀正しくをするものなのであって、礼儀の悪さを親がネチネチと言っても、どうにもならないものなのである。
お稽古事は損か得かという議論があるのだが、どう考えても得である。その子供は学校教育以外にも教育を受けられる機会を得たので、それで普通の子供たちよりも高い能力を持てるようになるのだ。特に音楽関係のお稽古事は物凄くお金がかかるものだが、それでも楽器を演奏できたり、歌が巧くなれば、その才能で以て他人から抜きん出ることができるようになるのである。
●学費
公立学校に行けばそれほど学費はかからないものだが、私立学校に行けば学費がかかることになる。親としては我が子を公立学校に行かせるのか、私立学校に行かせるのか、非常に重要な問題になってくる。これは大学進学のことも絡んで来るので、それも視野に入れて考えなければならない。
日本で最も強烈な差別は「学歴差別」である。大卒か高卒かで差別的に扱われてしまうし、どこの大学を出たかでも差別されてしまう。学歴差別に比べれば、「貧富の格差」とか「男女の性差」などは大した格差ではないのだ。その人の人格だとか実績とかで判断してくれるのではなく、自分が社会に出る前にどこで学んだかで判断されてしまうので、これほど恐ろしい差別はない。
これだけ覚えていて欲しいのは、学問をするにはそれなりのお金がかかるということだ。お金がなければ勉強したくてもできない。これは事実なのであって、親だからこそ、我が子がお金のことで学問を放棄するようなことがないようにしなければならない。
勉強とお金の関係を如実に表しているのが、現在、東京大学の進学する子弟の両親たちは高額所得者たちが大半を占めているということだ。国立大学の学費は私立大学の学費より安い物なのだが、それでも国立大学に入学するためにはそれなりの大金を支払わなければならないということなのである。
これが慶応大学になると、お金持ちたち親たちでその殆どが占められてしまうことになる。慶応大学は学費が突出して高額なのだが、そうやって学費が高いからこそ、貧家出身者の若者を門前払いにすることができるのである。福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」なんて言葉を鵜呑みにしていると、とんでもない間違いを起こすことになる。
日本の大学は未だに官尊民卑なのであって、私立大学の雄と言われている早稲田大学であっても、国公立大学から比べると大したレベルではない。このことは大学を選ぶ際には絶対に忘れないようにすることだ。学問をしたいと思って私立大学に行っても、宗教系の大学は別として、まともな学問をすることすらできないのである。
●子供の方から言い出してきた場合
お稽古事だとか、学校や大学のことは、親は想定の範囲内だが、子供から言い出して物にお金を出すとなれば、それを想定していなかったので躊躇してしまうことになる。子供の発言によりけりだが、こういう場合でもやはりお金を出した方がいいと言える。
というのは、子供が言ってくる物は、別に高い出費ではないからだ。子供の夢といっても、歌手になりたいとか、女優になりたいとか、スポーツ選手になりたいとか、要はテレビで見て、活躍している人に憧れて、自分もそうなりたいと思っているだけなのである。
尤も最近の子供の夢はデフレ不況の影響を受けて非常に現実的で、憧れの職業のトップはパティシエになのだから可愛いものだ。それなら料理学校の学費と、お店を出せるだけの資金を用意してあげれば、その夢は確実に適ってしまうのである。
子供が自分の夢を言い出して来た時、親は働き盛りの時期になっているので、だったら「やってみな」とでも言って、子供の背中を押してあげればいいのだ。お金はあるんだし、子供にお金が必要になれば、もっと働いてお金を得ればいいだけのことなのである。
愚かな親に限って、お金のことで子供の夢を破壊してしまうものだ。極貧でお金がないなら、その拒絶も理解することができるのだが、お金があるのに拒絶するのだから、どう言い訳をしたとしてもその行為を正当化することはできない。
●お金が愛情になりうることもある
お金は決して愛情ではないが、お金が愛情になりうることもある。子供は親が出して来るお金で愛情を計ろうとするのであって、子供がお金を必要としている時はやはりお金を出してあげるべきなのである。その出費を合計しても、決して高い金額ではないのだ。
気を付けるべきは、裕福な家庭ほど、この傾向が強いということだ。裕福だと、両親にはお金があるということだから、子供は親にお金を出させることで愛情を計ろうとするのだ。この時にケチtってしまうと、子供はグレてしまい、今度はそちらの方で大金を出す羽目になってしまうのだ。
親としては、
「充分に愛情を注いで育てて来たのに~」
と言ってしまうものだが、子供を育てるためには愛情だけでは不十分で、お金も必要なのである。親が出さなければならないお金を出さないからこそ、子供は親の意に反した行動ばかり取って来るのである。
どんなに高額な支出であっても、結果的に無駄な支出になることはない。なぜなら子供は親の愛情を計るべくその金額を要求したのであって、親が自分にお金を出してくれたのなら、大きくなれば親孝行をすることで返すことになるからだ。
折角、この世では親子になったというのに、親子が断絶してしまうことになったりする者たちは幾らでもいるものだ。子供を育てていくためには愛情だけが必要なのではなく、お金も必要なんだという当たり前のことが解っていないから、血が繋がっているというのに別れ別れになる人生を歩んでしまうのである。
●年老いてから遺産相続をしても、使い道がない
子供たちのためにお金がかかるというのに、両親はケチに徹してお金を貯め込むことだってできる。働き盛りであれば収入は高くなっているので、支出を抑えれば確実に資産が増えて行くことになる。そうやって老後のために充分な資産を確保しておくことは必要といえば必要だ。
しかし両親が死んだ場合、子供たちがその遺産を相続しても、本人たちも年を取っているので、もうお金の使い道がない。定年退職をしていたのなら、遺産相続でお金を得たとしても、旅行をする程度が関の山であり、大した効果はないと言っていい。
しかも両親が莫大な資産を遺して死んだ場合、恐らく子供たち同士が遺産相続で揉める事になる。たとえ仲良く分配したとしても、今度は相続した本人が必要以上の資産を持っているために、その者が死ねば今度は孫たちが遺産相続で揉めてしまうのである。
これは決して子供たちに遺産を遺すなと言っているのではない。遺産を遺すのは親としての義務である。しかしそれ以上に親がしなければならないのは、子供たちに高い能力を持たせてあげるべきことであって、そのためには教育費を惜しんではならないのだ。
子供たちに充分な能力があれば、如何に巨万の富を相続したとしても、巧く使ってくれることであろう。だが子供たちに大した能力がなければ、その巨万の富のために不幸になってしまうものなのである。親だからこそ、富と無知が結びつくことによる悲劇を発生させてはならないのである。
●子供は成功することもありえるし、失敗することもありえる
子供に対してどんなに大金をかけたとしても、必ずしも成功するとは限らない。失敗することも有り得る。色々な事を学ばせたのに、何1つ物にすることができなかったというバカな子だっているものなのである。人間の能力を育てる以上、これは仕方のないことなのであって、結果を素直に受け入れることだ。
お稽古事で失敗しがちなのが、様々なお稽古事をやらせてしまい、子供の方が何か1つに集中してやることができなかったという場合だ。親としてはあれもこれもやって欲しいと思ってやったのだが、そういう欲張りが子供をダメにしてしまったのである。
学校や大学で失敗しがちなのが、親が子供に学校や大学に対して過剰適応させてしまい、自分が本当にしたいことをさせなかった場合だ。この手の子供は典型的な「博学無知」であって、様々なことを知っているのだが、「これぞ」という物が何1つないために、どうやっても出世できないのである。
子供が言い出したことに応じてお金を出したのなら、そのお金を子供にあげたと思って期待しないようにすることだ。子供が言い出してきたことは失敗する確率が高いので、期待するだけ損なのである。親が期待し過ぎてしまうと、子供はそれがプレッシャーになり、余計にできなくなってしまうのである。
親が子供をどう育てようが、その子供が大きくなって結婚し、子供を産んでくれたのなら大成功と思えばいい。それは両親が幸せな結婚をしたから、自分も幸せな結婚をしたのである。子供の立身出世はどうなるか解らないが、それでも子供が結婚しないというのなら、それは大失敗だと思った方がいい。
子供を育てる過程で、子供に与えなければならない愛情やお金をどこかでケチってしまったということなのである。
だから愛情もお金も必要があれば、勇気を出して使った方がいいのである。
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