●なぜ大阪人は名古屋の連中を嫌うのか?
自分の好みを追求していくと、最終的には大阪に辿り着いてしまったのだが、大阪の良さが解って来ると、大阪人たちの気持ちが実に良く解るようになった。大阪人たちは名古屋の事を毛嫌いするのだが、なんで大阪人たちがそんなにまで名古屋の連中を嫌うのかといえば、名古屋の人たちの笑いは笑いではないし、話その物が面白くないからだ。
大阪には「しゃべくりの文化」がある。しゃべくりとは高速で会話し、笑いを取って行く物で、この文化の上に漫才が成立してくる。落語は江戸時代に江戸と大阪で同時発生したのだが、漫才に関しては絶対に大阪が発祥の地である。東京にはしゃべくりの文化などないのであって、そういう所では漫才を生み出す事はできないのだ。
名古屋にはしゃべくりの文化がない以上、名古屋の人たちが幾ら話をしても面白くないのは当然の事であり、これはどう仕様もできない。しゃべくりの文化がないという事では、東京や横浜も同じなのであるが、東京と横浜には落語があるので、どうにか対抗していく事が出来ているだけなのである。
東京の人たちが大阪の普通の人たちのやっているしゃべくりを見たら、本当にびっくりする。ハッキリ言って、普通の人たちのしゃべくりの方が、プロの漫才師たちの漫才よりも遥かに面白いし、為になる。大阪のお笑いには約束事があるので、それを理解しないで見ると、実に下らない笑いに見てしまうのだが、しゃべくりの方にはそれがないので、途轍もなく凄い事をやっているという事に成るのである。
共通語でしゃべくりをやろうとしても、恐らく不可能であり、共通語はそこまで発展していないから、大阪人たちが手慣れた大阪弁を使ってしゃべくりをやるようには行かない。当たり前の事だが、共通語で会話は出来る。しかしそれを高速で会話し、笑いをボンボンと取って行くというのは、実に難しい事なのである。
●「じゃん」を使いまくる
ところが、「共通語では不可能でも横浜弁ならできる」というのが、今回解ってしまった。これは本当に偶然なのだが、男性は俺1人で、女性は6人で集まり、昼食を共にした。その中に1人、福島県出身の女性が居て、高校卒業と同時に横浜に移住してきて、30年以上住み続けた人なので、横浜弁を流暢に話す。その女性が「じゃん」を使いまくったのである。
生粋の浜っ子ですら、そこまで「じゃん」を使わない。それなのにその事を知らないから、
「なんとかじゃん」
「なんとかじゃん」
「なんとかじゃん」
と連発してくるのである。そう成ると、こちら側も面白い話で返していくと、ドッカンドッカンと大爆笑を取ってしまった。
なんでこんな現象が起きたのかといえば、「語尾の音が高かったから」であり、語尾を高音で回してくれれば、返す方は笑いを取りに行ける確率が高くなるのだが、語尾が低音だと、返す方は笑いを取る事が難しくなってしまう。大阪弁だと、
「なんでやねん!」
「ほんまか~」
「ちゃうやんけ~」
とか、全て語尾が高音となる。だから巧く笑いで返せる。それでしゃべくりが可能になってくるのである。
共通語だと、こうは行かない。
「なんとかです」
「何々と思います」
では、語尾が全て低音になる。語尾が低音だからこそ、返す方は笑いを取りに行けない。
「ご機嫌よう」
ですら語尾は低音だ。これでは全然ご機嫌ではなくなってしまう。
地方から上京してきた人たちは、
「東京の人たちって冷たいな~」
という感想を持ってしまうのだが、それは共通語を使っていると、語尾が低音で、笑いを取りに行くのが難しいからなのだ。
普段の会話でも、語尾の音には気を付けた方がいい。日本語では文法的に動詞が最後に来るので、語尾が低音で入ると、低音の物が連発する事に成る。そういう喋りをしていれば、自然と笑いがなく成るので、ちょっとした事が起ればすぐに喧嘩になってしまうからだ。語尾を低音ではなく、高温に持っていけば、自然と楽しい会話が出来てしまう物なのである。
●しゃべくりで、ストレスフリー
しゃべくりはネタが尽きれば自然と終わる。しゃべくりをすれば「超楽しい」し、しゃべくりの後は「ストレスフリー」になる。大阪の人たち、特に大阪の女性たちは、
「しゃべくりができないと、ストレスが溜る」
というような意味の事を言うのだが、まさにその通りである。逆に言えば、大阪は人口密度が高いので、普段からかなりストレスがあるからこそ、しゃべくりという物が生まれてきたのであろう。
ストレスがあれば、お金を出して解消しようとする。それで経済は発展するかもしれない。しかしそういう事では文化レベルは上がらないのだ。しゃべくりをやれば、無料でストレスを解消する事ができてしまう。経済力なくして文化は成立して来ないが、経済力がありさえすれば文化が発展するとは限らないのである。