●宗教抜きの考古学は絶対に有り得ない
学校で日本史を学んだ時、幾ら勉強しても日本史のことが良く解らないものだ。それもその筈、学校で教える日本史は宗教抜きで学問を組み立てているのであって、そんなインチキな学問では生徒たちが幾ら勉強しても日本史を理解できるわけがないのだ。
日本の歴史学がおかしな方向へと舵を切ってしまったのは、戦前の津田左右吉が出て来てからである。この男が記紀を否定するという滅茶苦茶な学説を展開し、よりによって戦後になるとこの男の学説を東京大学の歴史学者たちが採用して、現在の出鱈目な学問になってしまったのである。
歴史学がこの有様だから、考古学はもっと酷い。日本の考古学者たちは基本的に唯物論に立脚し、宗教そのものを全く理解していないのである。そのため土器や青銅器が地中から出て来ても、それが一体何に使用されたのか、全然説明できないのである。
日本の歴史というのは神道が首尾一貫して貫いている。そこに仏教が伝来してきて「神仏習合」というものを取ったし、江戸時代になれば儒教が御用学問になって幕藩体制のイデオロギーとなったのである。日本史を理解したいのなら、まずは「神道」「仏教」「儒教」の勉強をすべきなのである。
これらの宗教が解れば日本史を理解することができる。考古学のように古代日本に限定されているものなら、神道が解れば考古学上の発掘物を簡単に理解できるものなのである。逆に言えば日本の考古学などは神道家以外の者が手を出してはならないものなのである。
●古代は「鉄」を巡る争い
今回紹介する本はこの本!
真弓常忠著『古代の鉄と神々』(学生社)
神道に関しては大いなる誤解がある。「神道は太陽信仰の宗教である」という滅茶苦茶な誤解をしているのである。神道は太陽信仰の宗教などではない。そんな祭祀をしている神社は日本全国どこを探してもないのだ。神社は「祭神」を祀っており、崇敬者たちが神社に参拝することで、その祭神から御加護を頂こうというものなのである。
古代で「カネ」といえば「鉄」のことである。鉄があれば農耕ができるし、戦争だってできる。鉄を多く持った方が勝ちなのである。だから古代に於いて鉄器を普及させた氏族の始祖、または何かしらの英雄や巫女を神社に祀っているのである。
古代日本に於いて日本で大繁栄した部族は「出雲神族」である。出雲神族は「倭鍛冶」を発明して、日本全国へと広がって行ったのである。日本は至る所に鉄はあるのだが、銅が存在しない。そこで出雲神族たちは中国に塩を輸出することで、銅を得ていたのである。漢王朝は製塩産業の国有化を図っていたので、塩の密輸をやっていたということなのである。
天孫族は元々は殷人であるが、殷王朝滅亡に朝鮮半島に逃れ、朝鮮半島をゆっくりと南下して、日本列島にやってきたのである。天孫族は出雲神族の後継者争いに巧く割り込み、国譲りをさせるということでこの国を乗っ取ってしまったのである。
しかし天孫族も内部分裂を引き起こし、近畿地方に逃れた神武天皇が近畿地方で新たな国を作った。大和朝廷は辺境の地にあったのだが、辺境ゆえに繁栄してしまい、崇神天皇の時に日本を再統一することができたのである。しかも神功皇后の時に朝鮮半島に進出し、新しい技術を日本に導入して、より繁栄することができたのである。
●銅鐸は褐鉄鉱のこと
世界史では青銅器から鉄器へと発展したと考えるのが常識である。しかしそれは鉄という物を理解していない者たちが考えた妄想にすぎないのだ。これは鉄の熔融点が「1525℃」で銅熔融点が「1100℃」だからだ。当然にそれだけ高い温度を実現するためには、火力の発達が欠かせない。だから鉄は銅より後にならないと人類は道具に使えなかったというのだ。
しかし鉄というのは「700℃~800℃」に熱してしまえば、「可鍛鉄」にすることが出来、これを熱しては叩き、熱しては叩きを繰り返すと、鉄器にすることができるのである。しかもこの「700℃~800℃」は弥生式土器を作る温度なのであって、当然に弥生式土器を作っていた人たちは鉄器だって作っていたのである。
日本の場合、鉄というのは大量にあった。川や海岸で黒い砂がある所は、砂鉄が大量に存在しているのである。それを取って来て熔鉱炉で鍛造すれば鉄器が出来上がってしまうのである。恐らくこの原始的な製鉄を普及させたのは、出雲神族の「須佐之男命」である。
第二段階が褐鉄鉱を使った製鉄で、葦が生える時に地面に褐鉄鉱という固まりを作るのだが、この褐鉄鉱を集めて熔鉱炉で製鉄すると、より純度の高い鉄ゆえに、更に上質の鉄器を作ることができたのである。これを普及させたのが「大国主命」なのである。銅鐸というのはこの褐鉄鉱に感謝する目的で埋めた物なのである。
しかし大和朝廷が朝鮮半島に進出すると、朝鮮半島から「韓鍛冶」という新型の技術が入って来る。これは藤代で砂鉄を濾すもので、より純度の高い砂鉄を得ることができ、これを熔鉱炉で鍛造すれば、より強度の高い鉄器ができるのである。大和朝廷は倭鍛冶に拘らず、韓鍛冶に切り替えたからこそ、繁栄し続けたのである。
●「神祇官による統制」と「修験道の誕生」
大和朝廷は朝鮮半島の支配を巡って争いを続けるのだが、その内、朝鮮半島に出兵しても利益にならないことが解り始め、それで雄略天皇が中国に朝貢しなくなる。そして日本で内乱が発生し、応神朝が滅んで、越の国から継体天皇が出て来るのである。
その間隙を突いて蘇我氏が権力を握ってしまい、天皇抜きで勝手に隋と外交交渉をしてしまう。それをひっくり返したのが天智天皇であり、蘇我氏を滅ぼし、権力を回復させた。しかしその天智天皇も白村江の戦いで隋に負けてしまい、天武天皇は壬申の乱で天智天皇の体制をひっくり返してしまう。
天武天皇は律令制度を整えていくと同時に、神道に対して宗教改革に乗り出すことになる。まず神道の最高神を須佐之男命から天照大御神へと切り替えて、より天皇家に有利な状態にさせた。そして神社に階級制度を導入し、神社を神祇官の統制を受けるようにしたのである。
こうなると神道の中からはみ出して来る者が出て来るものなのであって、それが「修験道」なのである。修験道こそ古代の産鉄民のやっていたことを宗教化したものなのであって、修験道の誕生によって古代の神道を仏教の影響を受けつつも、きちんと後世に残したのである。
銅鐸にしても絶滅したわけではない。銅鐸は「鈴」に変わっただけなのである。神社でお守りを買えば鈴がついたお守りを手にすることができるが、あの鈴こそ古代の銅鐸の名残りなのである。宗教といういものは、そうやって古代の記憶を残して行くものなのである。
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