●制作期間1ヵ月、必死になって書きました
約束していた通り、平成二十五年二月下旬から対芥川賞用小説の制作に没頭して、遂に三月の末日になって、対芥川賞用小説を書き上げることができた。途中、邪魔が入りまくったけど、毎日せっせと執筆しまくり、執筆量を抑えながら書き進めていった。なんせ純文学ゆえに質が高くないとどうにもならないのだ。
今後はこの原稿に推敲を重ねて、より文学性の高い作品に仕上げていくつもりである。俺の経験則からいって、推敲は執筆の倍の期間を要するべきであるという考えがあるので、後三ヵ月間は地道に推敲していこうと思っている。執筆と推敲は全く別の作業なので、執筆が出来ても、推敲で失敗してしまうと、芥川賞を確実に取ることはできなくなってしまうのだ。
対芥川賞用小説の内容は非常に濃い。まさに「涙涙の物語」なのである。俺の場合、自分の性格から言って「笑いあり涙あり」の小説を書いてしまうのだけれども、今回は芥川賞狙いゆえに笑いを抑えて、涙の方を重視した。小説を読んで感動するってことは涙を流すことだからね。
作品のレベル的には完全に芥川賞受賞ラインを超えていると思う。最近の芥川賞の受賞ラインは寧ろ低下しているので、松本清張の『或る「小倉日記」伝』や石原慎太郎の『太陽の季節』を意識しながら書いた。芥川賞の歴史の中でもこの二作品は未だにトップに君臨していると思う。
俺としてはただ単に芥川賞を取るのではなく、この小説を単行本化してベストセラーにしたいと思っている。なぜならこの小説では「介護」の問題を扱っているので、現在、社会問題と化している介護の問題に対して、その解決策を提示したいからだ。この小説を読めば介護に関する考え方が変わると思う。
●芥川賞の選考基準
芥川賞には選考基準というものがある。出鱈目に芥川賞を与えているわけではないのである。しかし、この「芥川賞の選考基準」というものが実に曖昧で、きちんとしたルールが存在しているのではないのだ。この辺り、芥川賞を作った菊池寛の性格が出ていると思う。
芥川賞の選考基準は、
①純文学の作品であること
②新人作家また新進作家
③短編小説か中編小説
の三つである。
この「純文学」なる言葉が曲者なのである。通常、純文学と聞けば、小説の中でも文学性の高い文学作品だと思ってしまう。しかしこの用語は私小説を指す言葉としても使われてきたのである。私小説には文学性の高い作品など余りないものだが、私小説を作る作家たちは私小説こそ文学性が高いと思い込んでいるのである。
「新人作家また新進作家」という条件も幅が広くなってしまう。芥川賞は純文学系の作家たちの新人賞的な役割を果たしている。芥川賞の受賞可能期間は、作家デビューしてから五年以内だと思う。その期間が新人作家の範囲に入るからだ。しかし新進作家という条件がつけば、この期間が延長されてしまうのである。
小説の内、短編小説は100枚以下であり、中編小説は100枚から300枚までの作品である。要は「芥川賞は長編小説には与えない」ということなのである。では300枚の作品を書けばいいのかといえばそうではなく、実際には250枚以下の作品が芥川賞候補作品としてノミネートされるのである。
結局、「芥川賞というものは短編小説と中編小説の戦い」であるのだ。短編小説と中編小説ではまるで違う。短編小説は切れ味のいい小説であるのに対して、中編小説は或る一定の物語展開がある小説である。物語の長さが長くなれば、当然に作品の持つ切れ味は消えてしまう。
俺が作った作品は中編小説に属するので、物語展開はしっかりと出来ている。後は切れ味をどうするかなのである。中編小説である以上、切れ味は減少せざるを得ない。それでも切れ味を良くしておかないと、他の芥川賞候補作品に短編小説があった場合、負ける可能性が出て来るのだ。
●芥川賞は文藝春秋社を強くする
芥川賞は日本文学振興会という財団法人によって運営されているのだが、実際には文藝春秋社によって運営されている。事務所がある場所は文藝春秋社のビルの中だし、芥川賞候補作品を指定して来るのも文藝春秋社の社員の役割であるのだ。
実際には文藝春秋社の20名ほどの社員が専属的になって、純文学系の新人作家の作品を読み、それを会議にかけて、芥川賞候補作品として決定して行くのである。芥川賞候補作品は必ずしも文藝春秋社から出版された作品ではないという所がミソなのである。他の出版社から出した作品もきちんとノミネートされるのである。
一見、文藝春秋社には利益が出ないような行為に思えてしまうが、芥川賞の受賞が決定すると、その芥川賞受賞作品は『文藝春秋』に掲載され、『文藝春秋』の販売に一役買うのである。芥川賞が発表された時の号は必ず売れるのである。
しかも文藝春秋社の社員たちは芥川賞の運営に関わることによって、その社員の質を高めることができるのである。事実、文藝春秋社の社員は優秀だし、文藝春秋社はメジャー出版社として地位をしっかりと固めているのである。芥川賞を毎年二回も行うことが、文藝春秋社の足腰を徹底的に鍛えているのである。
俺が芥川賞受賞作品の全てを読んでつくづく思ったのは、純文学作品として出来のいい物は、文藝春秋社か新潮社からしか出ていないということなのである。たとえ他の出版社から出た物であっても、最終的には全集というか形でこの二つの出版社に収まってしまうのである。純文学作品を作るなら、出版社を選ぶべきなのである。
●俺の作品を映画化したい映画会社募集中
俺の対芥川賞用作品はまさに「一発勝負」である。他に弾はないのだ。この一作品だけしかないのである。この作品で以て芥川賞を取らなければ、もう俺は芥川賞を狙わない。一発勝負だからこそ、全エネルギーを集中することが出来、それが成功した時には大ブレイクを引き起こすのである。
時期的に言って、今年中の発表は無理であろう。だから来年になってこの作品を発表し、来年度の芥川賞に勝負をかけるつもりである。芥川賞候補作品にノミネートされたら、必ず芥川賞を取れる自信はある。作品のレベルが高いから、これで落選するということはないであろう。
多分、この小説をドラマ化する場合は「NHK」になるだろうと思う。現在、民放各局はドラマ制作のレベルを落としているので、この作品をドラマ化するだけの能力がなくなっているのだ。かといってNHKもヒット作に恵まれていないが、それでもNHKはレベルを維持しているのだ。
只今、俺の作品を映画化したい映画会社を募集中である。今の内に交渉を申し込めば、簡単に映画化の許可が下りるのだ。しかし俺が芥川賞を取ってしまうと、他の映画会社が殺到して来るから、なかなか許可が下りなくなってしまうのである。
アニメ映画ならスタジオジブリが良い。スタジオジブリの映画も最近はつまらなくなっているので、ここでドカンとヒット作を出さないと、スタジオジブリ自体が潰れてしまうからね。俺はアニメ映画なら見るので、是非とも映画化して欲しいね。
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