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功利的に生きる生き方はなぜ最終的に大損になるのか?

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●人間は功利的な生き物

 人間は功利的な生き物である。自分にとって利益になるからと思うからこそ一生懸命になって働くのである。働けば給料を貰えるからこそ、その労働が重労働であっても働くのである。もしも幾ら働いても給料を貰えることができないのなら、その労働をやめてしまう筈だ。

 こういう考え方を「功利主義」というのだが、功利主義はかなりの説得力を持つ。なぜなら経済が発達してくれば、人々は「損得勘定」という感情が非常に激しくなってくるから、功利主義の考えを示されれば、すぐに納得してしまうし、反論することが難しくなってくるのだ。

 功利主義が厄介なのは、そうやって個人の感情に激しく訴えるこの思想が、「最大多数の最大幸福」を求めて立法に働きかけてくるということなのである。個人レベルの問題を国家レベルの問題に擦り替えてしまう所にこの功利主義の致命的な欠陥が存在するのである。

 実際、どこの政府であったとしても、「この法律は国民の利益になるから」という理由を以て新たな法律を作り、制定して来るものだ。しかし実際にやってみて、その法律は巧く行かないのである。そんな当たり前である。国家レベルで物事を考えるのなら、個人レベルを超えた考え方が必要なのに、それを全くしていないからなのである。

 人間は功利的だからこそ功利主義という考え方を一度は疑ってみるべきなのである。人間が功利的だからといって、功利主義者だとは限らないのである。人間は功利的ではあったとしても、功利主義者たちには見えてない物があるかもしれないのだ。

●人間の生き方は4パターンしかない

 人間の生き方を突き詰めてしまうと、たった4パターンしかない。人間の考え方には様々なものがあれども、必ずこの4パターンに収斂してしまうのである。功利主義のように1つの考えで人間を見るからこそ、人間を根本から間違えてしまうのである。

①テイク&テイク

 まずは「テイク&テイク」な生き方である。これは他人から物を奪い取ることしか考えていない生き方である。通常、こうやって奪い取ることだけを考えて生きていると、必ず犯罪を引き起こし、刑務所で暮らす羽目になる。社会に対して有害な人々は法律で取り締まるしかないのである。

②テイク&ギブ

 次に「テイク&ギブ」な生き方である。これは他人から何かを奪い取った上で、他人に利益を与えようとする生き方である。損得勘定の感情が激しくなってくると、まずこの考えを持ってしまう。社会主義者やフェミニストたちは自分たちの要求をまず出し、その要求を認めてくれるのなら働くという碌でもない考え方を持ってしまうのだ。犯罪者にはならないけど、放置しておくと犯罪者レベルの有害さを発生させて来る連中である。

③ギブ&テイク

 第三に「ギブ&テイク」な生き方である。これは自分が何かを与えた上で、その代償として利益を得ようとするのだ。他人から何かを奪うわけではなく、他人に利益を与えた上で自分も利益を得るのである。真っ当な人たちはこの生き方をするものだが、それほど豊かになることができない。それはただ単に自分の労働力を提供して、その代価を得ようとしているからなのである。

④ギブ&ギブ

 トドメが「ギブ&ギブ」な生き方である。これは自分が何かを与え、更に多くの物を与えてしまう生き方である。冷静に考えてみれば物凄く損な生き方であるのだが、この生き方こそ最も豊かに生きることができる生き方なのである。人々を常に豊かにさせ続けるからこそ、自分も常に豊かになっていくことができるのである。

●人から豊かさを奪い取る生き方をやめよ

 人間が不幸から抜け出したいのなら、人々から豊かさを奪い取る生き方をやめなければならないのだ。自分がお金や物を不足させているからといって、他人からお金や物を奪い取ってしまえば、相手はカンカンになって怒り出し、トラブルまみれになってしまうものなのである。

 この世を正しく生きて行くためには「立場の互換性」という考え方が絶対に必要なのである。自分のことばかり考えるのではなく、相手の立場になって考えるのである。自分が他人からお金や物を奪い取る生き方というのは、他人もあなたからお金や物を奪い取ることをしてくるということなのである。

 宗教的には「人生の黄金律」というものがあって、「自分がして欲しくないことは他人にしてはならない」「自分がして欲しいと思うことを他人に施してあげなさい」というものがある。前の文章は儒教の孔子の格言であり。後の文章はキリスト教のイエスの格言である。

 人生の黄金律は確かに素晴らしいのだが、自分に執着し、自分の観点でしか物事を見ていないという欠点があるのだ。そうではなく相手の立場に立って考えることができれば、それこそ適確な解決策を生み出すことができるようになるものなのである。「立場の互換性」こそ、お金持ちなるには絶対に欠かせないものなのである。

 犯罪者たちは他人からお金や物を奪い取ろうとする。だから刑務所に収監される羽目になるのである。社会主義者たちはお金持ちから富を奪い取ろうとする。フェミニストたちは男性たちから富を奪い取ろうとする。それゆえどうやったとしても巧く行かないのだ。

●とにかく生活をシンプルにすること!

 人間が他人の持つ富まで欲しがるというのは、自分の生活が堕落しているからなのである。自分が正しい生活を行っていないからこそ、碌でもない考えを持ってしまうのである。自分が堕落した生活をしているのに、他人の富を奪っても、自分の生活を改善することは不可能なのである。

 人間が堕落した生活から脱するためには、とにかくシンプルな生活にするべきなのである。生活がシンプルなら生活費はそんなにかからないものなのである。自分の生活が堕落しているというのは、物が溢れているということなのである。高コスト体質で暮らしているからこそ、自分の給料では足らなくなってしまい、それで他人から何かを奪い取ってこようと考えてしまうのである。

 人間は衣食住が足りてこそ礼節を知るようになるものだが、人間が持てる衣食住は限らているのである。殆どの人たちは自分が着ない衣服を大量に持っているものだし、食事だって食べ残すほどあるものなのである。自宅だって自分が生活していく上で充分な広さはある筈なのである。

 それなのに「もっと服が欲しい」「もっと食べ物が欲しい」「もっと大きな家が欲しい」と思うからこそ、自分の生活を正すことができないのである。これを「煩悩」というのだ。煩悩の炎が自分の心の中で燃え続けている限り、自分の間違った生き方は延々と続くものなのである。

 「世の中が間違っている!」と叫ぶ閑があるなら、とにかく自宅を掃除することだ。不用品を捨てていく。整理整頓をする。そして断食をする。こういうことをしていけば、自然と自分の生活を正すことができるのである。しかもこういう生き方はそんなにお金がかからないから、少ない所得であったとしても、確実に貯金が増えて行くようになるのだ。

●豊かになるシステムを作ること

 生活する上でもビジネスをする上でも絶対に忘れてはならないことは、「経済に於いて等価交換は絶対に有り得ない」ということなのである。例えば千円出して、千円の商品を買う。「これは等価交換ではないか!?」と勘違いをする連中がこの世には無数にいるものなのである。

 我々がなぜ商品を買うのかといえば、お金を出してその商品を買えば儲かることができるからなのである。例えば食料品を買わずに自分がその食料品を作ったのなら、その人は1年間、その食料品を作るためにかかりっきりになってしまうのである。これでは他の仕事が全くできなくなってしまうのだ。

 この世の中は協業と分業で成り立っている。だから他人に任せられる仕事は他人に任してしまい、自分は自分の仕事に特化し、それで生活していくようにするべきなのである。そうやってみんなが自分の得意分野で働くからこそ商品を大量に作り出して行くことができ、それによって全ての人々が豊かな生活を営むことができるようになるのだ。

 人間が1日に働くことのできる時間は8時間程度だ。最大でも12時間である。それ以上働けば、一時的に働くことができても、必ず心身を害してしまうことになる。人間の労働時間は1日8時間と限られているからこそ、自分が闇雲に働くのではなく、みんなが豊かになるシステムを作り、そのシステムを使って働くようにすべきなのである。

 会社であるなら、まずはお客様を豊かに、次いで社員たちを豊かにし、そして株主たちを豊かにしていくのである。そうやって誰か1人だけ豊かになるのではなく、その会社に関係する人たち全員が豊かになるからこそ、その会社は存在価値があるし、常に発展していくことができるようになるのだ。

●分福こそ常に豊かに生きる生き方

 豊かになりたいのなら、自分が得たお金を自分1人で独占してしまわないことなのである。自分が働いたお金だからといって、自分のためだけに使っていたら、貧乏になっていくのは当たり前なのだ。どんなに高額職得者であっても、心が貧乏なら、いずれは貧乏になっていくのは必然であるのだ。

 結婚すると豊かになっていくのは、富を夫婦で分かち合うことになるからなのである。そして子供が生まれてくればその子供に富を分け与えなくてはならない。子供たちを多く作ることこそが、より豊かになっていく秘訣でもあるのだ。

 豊かであるなら、友人たちに何かしらの物をプレゼントすることができるものだ。豊かだから与えるのではないのだ。富を分け与えるからこそ豊かになっていくのである。心が豊かである人はたとえ今の自分が貧乏であったとして分け与えるから、それで経済的に豊かになっていくのである。お金を持っているのなら、どんどん分け与えていくべきなのである。

 分福の最たるものは宗教団体に寄付することなのである。大抵どのお金持ちたちも何かしらの神社仏閣と繋がりがあって、きちんと寄進しているものなのである。お金持ちなのに無宗教というのは聞いたことがないし、もしいたとしても長続きすることはないであろう。

 お金持ちたちほど慈善活動に積極的だ。気をつけるべきはお金持ちになってから慈善活動をしたのではないのだ。お金持ちになる以前から慈善活動をやっていたということなのである。そうやって慈善活動に携わった期間が長いから、慈善団体に寄付してお仕舞いということにはならないのだ。

●植福は無制限に富を生み出す

 分福こそお金持ちになる最善の方法なのだが、分福だけをやっていてはお金持ちであることを維持することができない。如何なる者であっても、富には限りがあるのだから、必要以上に富を分けてしまえば、そのお金持ちは破産することになってしまうのだ。

 そこで「植福」ということをしなければならないのだ。植福というのは富を植え。富がいつまで生み出され続けるようにすることなのである。自分がお金持ちになったからといって、周囲の人たちにチヤホヤされていると、この植福をやらないし、植福自体が解らないので、それでその家は絶家になってしまうのである。

 子供たちを生み育てるのは分福であるが、子供たちのために基金を設けるのは植福である。信託財産を作って、子孫がその資産を破壊できないようにし、その信託財産から常に収入を得られるようにすれば、子供たちは子子孫孫繁栄していくことになるものなのである。

 会社にしても1つの会社を成功させて満足するのではなく、より多くの会社を作ってしまえば、企業グループになり、財閥へと成長していくから、その企業グループや財閥がありさえすれな、自分が死んだ後も企業が存続していくものだし、新たな企業が生まれて来ることになるのだ。

 宗教にしても、宗教団体に寄進するだけでなく、自分の一族のために菩提寺を作ってしまえばいいのである。慈善にしても、慈善団体に寄付するだけではなく、自分で財団法人を作ってしまえばいいのである。そうやって富を植えるからこそ、宗教活動も慈善活動も持続的に行うことができるようになるのである。

●利益というものは結果にすぎない

 人間にとって利益というのは結果にすぎないということなのである。その人に何かしらの「人生理念」なり「人生計画」があるからこそ、その人は自分の夢を実現させ、それによって利益が発生しただけのことなのである。だから利益を追求してしまえば、自分の夢を実現することなど出来なくなってしまうのである。

 功利主義の意見が正しいように思えて、実は間違っているのは、まさにここにこそその答えがあるのだ。人間は功利的な生き物だから利益のないことなどしない。何かをするということは何かしらの利益を獲得するということになるのだが、かといってそれは功利主義者が考えているようなことではないのだ。

 優れた生き方をすれば、それだけ大きな利益を発生させるし、平凡な生き方をすれば平凡な利益しか得られないのである。逆に間違った生き方をしていれば、損害だけが発生するようになっているのだ。問われているのは、「あなたはどうのような生き方をするのか?」ということなのである。

 学生の時に「どう生きるべきか?」と悩むものだが、こういう悩みを持つことが大事なのである。そしてこの時はその悩みに対して答えなど出て来ない。自分が社会に出て働き、その仕事の中で行き詰まった時、改めて自分の生き方を問い質すからこそ、その悩みに対して答えが出て来るのである。

 人間が労働すれば豊かになることができる。しかし人間の労働時間は殆ど同じなのだから、なんで或る人は豊かになり、或る人は貧乏になってしまうのかといえば、考えていることが違うからなのである。働いているのに、利益を追求しているようではまだまだなのである。もっと大きなことに目覚めない限り、よりレベルの高い豊かさを享受することなど出来ないのだ。

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