●心身の成長速度は異なる
人間の体は19歳が成長のピークである。これは男女ともに同じなのであって、19歳の段階で最も体力が高まるのだ。人間は男女ともに19歳までに結婚するように出来ているのであって、そうやって成長のピークで結婚するからこそ、超健康な赤ちゃんを産み育てることができるのである。
しかし心身の成長速度は異なる。体の成長のピークは19歳なのに、脳の成長のピークは60歳の時なのである。脳の成長のピークは体の成長のピーク以上に本人が感じ得ないものである。それもその筈、60歳までに脳に充分なエネルギーを送り、脳を鍛えていないと、脳の成長のピークを感じることができないのである。
作家たちの間でも、60歳を過ぎてからいい作品を書く場合が非常に多い。60歳にもなれば性欲が落ちているから、性に執着することはもうないであろう。そうやって性への執着がなくなると、作品制作に全エネルギーを投入することができるので、いい作品を作れるようになるのだ。
男性は70代前半で免疫力の低下が起こるので、この時期に命を落とす人が大量に出て来る。だからこれを乗り越えることができた作家たちというものは、まず評価していい。70代前半で死ぬような作家たちは生き方に問題があった可能性が高いのである。
70代前半を過ぎたのなら、とにかく死なない努力をし、できる限り長生きをすることだ。長生きすればするほど作品制作の時間があるのであって、無理をせず仕事をし続けていけば、膨大な仕事をこなすことが可能になるのだ。自分が何もかも仕事をするのではなく、もう不要になった仕事は若い人たちに任して、年をとった自分だからこそできる仕事に集中すべきなのである。
●脳の臨界期と体の臨界期
脳の成長のピークが60歳である以上、60歳以前に死ぬのは問題外なのである。そういう生き方あは生き方が間違っているのであって、若くしてしんでしまうような生き方をすべきではないのだ。人生は長丁場なのであって、それに合わした生き方をすべきなのである。
人間の脳には臨界期というものがあって、5歳から6歳の時期に脳の臨界期を迎える。この時期まで遊びまくってシナプスを増やして行くべきなのである。脳のシナプスは6歳を過ぎると減少し始め、16歳辺りでシナプスの減少が停止することになる。
だから小学校や中学校の存在が非常に重要なのであって、この時期に優れた教育を受けると、シナプスの減少を最小限に食いとどめることができるのである。学校無用論や学歴無用論が時折出て来るが、文化というものは誰がなんといおうが学校があればこそ発達してくるものなのである。
現在の日本では義務教育は中学校までであるのだが、これは脳に関する限り正しいのである。小学校卒では脳のシナプスの減少を食いとどめることができなくなるので、文化の低下を引き起こしてしまうのだ。国民に対しては強制的に中学校を卒業して貰わねば困るのである。
肉体の成長のピークは19歳だから、当然に高校に行った方が有利である。高校生の時はとにかく運動部に入って体を鍛えておくべきなのである。しかし大学受験のために勉強ばかりする人たちが出て来るからこそ、この高校を巧く機能させることができないのである。大学入試に体育の科目を入れておけば、知識至上主義的な受験を阻止することができるものなのである。
●大学と大学院
人間の心身のことだけを考えれば学歴は高卒で充分なのである。大学とか大学院は本来不要なものなのである。しかし大学や大学院では学者たちがせっせと研究しているからこそ、そこで学ぶ価値が出て来るのである。大学や大学院は校名で選ぶより、優れた学者がいるか否かで選んだ方がいいのだ。
高卒の人と大卒の人とを比較した場合、高卒の人たちが絶対に持っていない物がある。それが「一般教養」であるのだ。これは本当にそうなのであって、高卒の人が書いた本には一般教養というものがまずないのである。そうなってしまうと高度な思考が展開できなくなってしまうということなのである。
大学生たちという者は遊び呆けているものであるが、これは一般教養の重要性が解っていないからなのである。恐らく一般教養を本格的に学ぶのは大学生の時しかないのである。だからこの時期を遊んで過ごせば、大学に行っても一般教養を身につけることができなくなるのは当然のことなのである。
大学への進学率が50%を超えてしまえば、「学士」の価値が急速に低下してくるのは当然のことである。いずれどこの大学を出ようが、学士では価値がなくなる時代がもうすぐそこまでやってきているのだ。大学院に行き、修士号や博士号を取って、専門分野で仕事をして成功を収めるというのが王道になるのだ。
大学院の改革は絶対に必要で、大学教授を育成するためだけの大学院を存在させてはならず、社会人たちに専門知識を付与するために大学院教育を施したりすべきなのである。大学院が閉鎖されている空間だからこそ、大学院が機能していないのである。大学院を機能させるためには、より多くの人たちに修士号や博士号を持って貰うようにすべきなのである。
●人生経験と知恵の蓄積
大学や大学院の行った場合、絶対に気をつけるべきことが1つだけある。それは
「大学教授というものはどうやっても≪人生の師匠≫にはならない」
ということなのである。大学教授というのは優れた研究をしたからこそ大学教授になれたのはごく一握りの人たちであって、大部分は縁故採用なのである。大学院生が大学教授と巧くコネを持っておけば、下手なミスを犯さないという条件つきであるが、大学教授になれてしまうものなのである。
大体、そういうような形で大学教授になった者に称賛に値する人格を持つ者はまずいないものなのである。
大学教授たちというのは学術書を書きはするが、自己啓発書を書かないものだ。大学教授の世界では人格を鍛えるということが必要ないからこそ、自己啓発書を書かないのである。このことは大学教授の最大の欠点であると決して忘れない方がいい。
19歳を過ぎてからの人生では「人生経験」と「知恵」こそが大事なのである。この人生経験と知恵を自分が世の中と悪戦苦闘しながら地道に身につけていくしかないのだ。一気に大量の人生経験や知恵を獲得することなど決してできないのである。時間をかけてコツコツとやっていくしかないのである。
人生の中でも最も重要になるものは、「結婚」である。結婚によって人生の明暗が分かれてしまうからだ。結婚する際には自分にとって最善の相手と、時期を間違えずに結婚すべきなのである。これが巧く行った夫婦はその後、大した努力をしなくても幸運の連続になってしまうものなのである。
妊娠出産育児は早目にやっておいた方が良い。女性の卵子は年齢を経過すればするほど劣化していくものなのである。19歳で最も健康的な卵子を排出できるが、それ以降は徐々に老化していくものなのである。そういうことを考えれば早目に結婚して妊娠出産育児を矢継ぎ早に行っていった方が良いのである。
●ところがどっこい、そうじゃない!
人間の脳が60歳で成長のピークに達するのなら、60歳以降に作家デビューした方がいいのではないかと思ってしまう。事実、60歳以降になってから作家デビューしている人もいる。しかし60歳以降に作家デビューした人の作品はとにかく文章が下手糞なのである。しかも60歳以降に作家デビューしても書ける時間は限られているのである。
60歳以降に書いた本で良いのは「自叙伝」ぐらいなものなのである。60歳まで生きてきたということは、それなりの人生経験や知恵が蓄積されているから、自叙伝を書かせたら面白いものができるものなのである。だからといって他のジャンルの本が巧いとは限らないのだ。
俺が様々な本を読んで来てつくづく思うのは、女性作家なら20代で作家デビューした人の本が面白いということだ。女性の人生はスタートダッシュ型なのであって、大器晩成というのは女性には相応しくないのだ。だから女性が男女平等を唱えて男性たちと歩調を合わせてしまうと、どうにもならなくなってしまうのである。
男性作家ならやはり30代か40代で作家デビューした人の本が面白い。男性は30歳にならないと自立してこないのであって、女性の自立よりも遥かに遅いものなのである。20代で作家デビューされても、「お前さん、ちょっと青臭いいんじゃないの?」と思ってしまうのだ。
脳の成長のピークが60歳だからといって、それまでに何もしないのでは困るものなのである。若い時からせっせと脳を鍛えていくからこそ、いざ60歳を迎えた時にいい作品を作ることができるのである。逆に言えば、60歳になっても大した作品を書いて来ない作家は、どう考えてもどってことない作家なのである。
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